冷戦史 歴史

前線に近すぎる首都 ソウル

投稿日:2018年3月4日 更新日:

38度線とソウル

1945年の日本降伏により、朝鮮半島は北緯38度線を境界として、北側をソ連が、南側をアメリカが占領しました。

東西冷戦が本格化しつつあった1948年、38度線の北側のソ連占領地域に朝鮮民主主義人民共和国が、南側のアメリカ占領地域に大韓民国がそれぞれ建国され、朝鮮半島の分断は決定的になりました。大韓民国はソウルを首都としましたが、ソウルは38度線から約50kmしか離れていないところにありました。

※本記事は冷戦史第2回の下記コメントについての補足です。
「首都の持ち主が4度変わるw」

 

朝鮮戦争の勃発

朝鮮戦争の勃発により、ソウルは4度の陥落を経験することになりました(韓国→北朝鮮→韓国→北朝鮮→韓国)。

開戦直後、ソウルは北朝鮮軍の戦車部隊に侵攻されたため、今でも軍事境界線周辺からソウルへ向かう道路には、対戦車用の障害物やバリケードが残っているそうです。

 

朝鮮戦争後

朝鮮戦争後、朝鮮半島は38度線付近に新たに設けられた軍事境界線で隔てられることになりました。ここでも、ソウルはやはり軍事境界線から約50kmしか離れていませんでした。

50kmというのは北朝鮮の大砲や短距離ミサイルの射程内であり、北朝鮮がその気になれば砲弾やミサイルの雨が降り注ぎソウルの街を壊滅させることができてしまうのです。つまり、韓国はソウルを「人質」に取られているような状態になっているのです。

 

北朝鮮核危機

1990年代に入ると北朝鮮に核開発疑惑が持ち上がり、アメリカが北朝鮮への空爆を検討する事態となりました。

北朝鮮が核開発に成功すれば、韓国や日本といったアメリカの同盟国が危機にさらされる状況にありましたが、最終的に空爆は実施されませんでした。

これは北朝鮮を攻撃することに韓国が反対していたことが理由の一つとされています。1994年3月の南北特使交換実務協議の際、北朝鮮側の朴英洙(パクヨンス)代表は米韓が北朝鮮に攻撃を仕掛けた場合「ソウルは火の海になる」と発言し両国関係を緊張させました。

上記で説明した通り、ソウルは北朝鮮の大砲や短距離ミサイルの射程圏内で、北朝鮮がその気になれば「ソウルが火の海になる」ことは確実でした。このような韓国の被る損害の大きさから、当時の金泳三(キム・ヨンサム)政権は戦争回避に動いたのです。これはソウルの位置が韓国の対外政策に大きな制約を課した事例と言えるでしょう。

 

首都移転の動き

軍事境界線のすぐ近く首都があるという状況に対して、韓国政府は何も行動をしなかったわけではありません。

2003年に廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が就任すると、遷都の計画が持ち上がります。しかし、2004年に韓国憲法裁判所で首都移転の違憲判決が出され、移転計画は頓挫してしまったのです。

したがって、首都移転ではなく行政機能の部分的な移転が行われることになりました。韓国中部にある世宗(セジョン)特別自治市は、このような行政機能の一部移転を目的として作られたのです。

 

ソウルの地価

韓国の首都ソウルは、漢江(ハンガン)という大きな河川で南北に隔てられており、北側の地区を江北(カンブク)、南側の地域を江南(カンナム)と呼びます。

もともとソウルは江北を中心に作られた都市であり、江南は1960年代までは農村地域でした。しかし、1970年代から政府主導で開発が行われ、現在では多くの企業や学校が江南地区に移転する等、江北との地位が逆転しつつあります。

このような江南発展の理由の一つに、安全保障上の問題があるそうなのです。万が一、北朝鮮が韓国に侵攻した場合、江北地区に居れば漢江を渡れず逃げ遅れる可能性がある一方で、江南地区に居れば敵が漢江を渡っている間に避難できる可能性が高いのです。つまり、漢江が自然の障壁となってくれることが、江南地区の地価が上がる一因となっているということだそうです。

安全保障上の理由が地価にどの程度影響しているのかはわかりませんが、ソウルの置かれた状況がよく理解できる話だと思います。

 

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