冷戦史 歴史

共産主義革命の名残

投稿日:2018年2月27日 更新日:

共産主義革命の名残

ソ連は世界で初めての共産主義革命によって誕生した国家でした。ソ連は革命家たちによって作られた国家であるため、その名残が至る所に見られます。

※本記事は冷戦史第0.5回の下記コメントについての補足です。
「スターリンは筆名らしい」

 

指導者の名前

まず、ソ連の指導者の「名前」について。ソ連の初期の指導者・政治家は偽名・筆名で呼ばれていることが多くあります。これは、ロシア革命期に王党派や対抗勢力から情報を秘匿するためでした。

例えば、
レーニン(本姓:ウリヤノフ)は「レナ川の人」、
スターリン(本姓:ジュガシヴィリ)は「鋼鉄の人」、
モロトフ(ソ連外相、本姓:スクリャービン)は「ハンマー」
といった意味になります。

ソ連の指導者が本名で呼ばれるようになるのは、フルシチョフ以降となります。フルシチョフは1917年のロシア革命には参加しておらず、翌18年に共産党に入党しています。ロシア革命~内戦期においてまだ若かったフルシチョフは偽名を名乗る必要はなかったのだと思われます。

 

指導者の肩書

共産主義・社会主義国においては、国家の指導者の役職として「書記」という肩書が使われることが多くあります。

ソ連では「書記長」「筆頭書記」「第一書記」という肩書が用いられました。このような肩書が用いられたのも、ソ連が共産主義革命によって誕生した国家であることが影響しています。

革命直後のロシアにおいては、農民・労働者の階級闘争意識が低いこと等を理由に「民主集中制」という統治体制が採られました。これは、エリートたる革命家集団が国家を運営を担い、農民・労働者を指導・啓蒙していこうという考え方に基づいています。ロシアのみならず、他の共産主義国が一党独裁の形式を採用するのは、このような思想的背景があるのです。

民主集中制の統治体制においては、少数の党幹部たちによって国の方針が決定され、各地の共産党員を集めた党大会(呼び方は国によって異なります)でそれが承認されるといった方式が一般的です。党大会では多くの党員が参加するので実質的な議論はなされず、少数の幹部によって決定された方針が事実上既定路線となるわけです。そうすると党幹部の話合いを取りまとめ文書として発表する役職が、実質的に国の方針を左右できるようになるということです。

このような理由で共産主義国では「書記」が大きな権限を持つようになり、国家の指導者の肩書として使われるようになったのです。

 

指揮官と政治委員

ソ連の軍隊では指揮官の他に政治委員(コミッサール)という役職が設けられています。フルシチョフやブレジネフも、元は政治委員を務めていました。

では、この政治委員とは何をする役職なのでしょうか。この役職が設けられた理由も、ロシア革命~内戦にあります。

革命当初、赤軍には専門的な軍事教育を受けた人材はほとんどいませんでした。軍人たちは国家権力側、すなわち皇帝側によって教育され、給料を貰っていたのだから当然と言えば当然です。

ロシア革命に続く内戦によって、赤軍にも軍事教育を受けた人材が必要になり、旧ロシア帝国の軍人を指揮官・将校として迎え入れることになりました。共産主義者たちにとってみれば、旧ロシア帝国の軍人は革命時に戦った敵であり、信用できません。そこで指揮官を監視する役割として、政治委員という役職が置かれたのです。

また、政治委員は指揮官の監視のみならず、部隊でのプロパガンダの役割等も担っていました。

 

まとめ

以上のように、私たちになじみのないソ連の制度や慣習も、ロシア革命からの経緯を考えると、よく理解できると思います。

 

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